雑が喰おう

日本における人力車のお話

人力車発明者は、東京料理屋を営んでいた和泉要助。
明治3年に友人の鈴木徳次郎・高山幸介と共に東京府へ営業許可を出し、1870年03月17日に人力車の営業許可が受理されている。
特許という考えが無かったため、2年後には東京市内に4万台の人力車が走っていた。
横浜でも外国人相手に大繁盛していた、そのころ出された英語の通訳本には、聞きかじった内容のことがかかれており、「お急ぎめさるな=ドンピのハネ」と書かれている。
これは、「Don’t be in a hurry」の事らしいという話。
また、国字には『俥』という人力車を意味するものもあり、このころに作られたらしい。
中国においては、人力車のことを「東洋車」という。
ここでいう東洋は西洋に対する東洋ではなく、中国から見て東にある国という意味で日本の事。

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